楽に子育てしたい〜適当育児+妊娠日記〜

13才と4才の息子がいます。子供にプラスで私も楽に生活するには、と試行錯誤する日々や気付きを綴ります。

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なぜ勉強するのかには、具体的に答えないと伝わらない

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「なんで勉強しなきゃいけないの?」
この問いに、いまいち具体的に答えている文章を、中学生頃から一度も読んだ事がない気がするんですよね。
というより、中学生の時は抽象的な回答に対して。

働いた事も、将来の夢も持っていない子供に、可能性の話をしたって、ピンとくるわけがないし、無意味だと何故分からないのか。
具体的に答えられないほど、底が浅い人生を歩んできたわけ?

と、考えていました(生意気だったんです)。
親に対してもそう思っていました。
(口には出していませんよ!)
という、自分の経験を踏まえると、具体的に答えた方がいいと思っています(笑)

私が息子に伝えているのは、主に5つなので、参考までに紹介しておきます。

あらゆる職業の基盤だから

私はバリバリの文系で大学まで進みましたが。
塾の先生を経て、電気設計の世界へ進みました。

もし、私が中学生の時に電気回路を習っていなかったら、面接の段階ではねられていたと思います。
電流、電圧、電気回路。その最低限の知識を義務教育で習っていたからこそ。

「CADのスクールに通われていたそうですが、電気について拒否反応とかないですか?キロワットとか聞くだけで虫唾が走るような方だと厳しいと思うんですが」

という面接での質問に対して「大丈夫です」と答えられたのです。

それらの経緯を息子に話した上で。

電気って何?電流って何?という人間に、1から電気について教えていられるほど会社は暇じゃない。

同じように、炭水化物やらたんぱく質やら栄養素についても軽く習うからこそ。
「この分野は苦手だから、この方向に進むのをやめよう」
「この分野が好きだから、栄養士になるのも選択肢に入れよう」
と、好き・嫌いが分かる。

人生何があるか分からない。
私だって文系なのに、理系の仕事に進んだ。
あらゆる職業の基盤を知っておかなければ、進む方向は狭まる。
あらゆる職業の基盤を知るからこそ、向き不向きも分かる。

全ての科目の、浅くて広い知識は必要なんだ。

と答えています。

苦手な事も仕事ではやらなくてはならないから

では、好き・嫌い、向き・不向きが定まったら、やりたくない科目は勉強しなくてもいいのか。
に対する答えとしては。

「構造計算が大好きだから、そればかりやっていたい」
では、仕事は成り立たない。
お客さんとの電話やメールのやり取り、社内文書の作成、会議でのプレゼン、自分に向いていない事でも、しっかりとやらなければならない。

人とのコミュニケーションに優れていて、営業をする人だって。
赤字にならず、受注が取れるような見積の設定等、数学の力が必要だ。

嫌いな分野でも、覚えたり考えたりしなくてはならない。
これもまた、必要な能力だ。

と、答えています。
学生でそれができない人が、社会に出ていきなりできる訳ないでしょう?と。

ミスをしない練習が必要だから

では、覚えるだけでいいのか。
なぜテストで点をつけられ、順位をつけられ、競争しなくてはならないのか。

に対しては、点数も何もなく聞いているだけで良かったら一生懸命勉強しないでしょう?と。
真剣に勉強をして、テストを受けて、ミスで点数を落とすからこそ。

人間、気を付けてもミスをしてしまうものなんだ。
再確認しなければ、ここまでたくさんのミスをしてしまうんだ。

と、気づく事ができるんだよ、と答えています。
その上で。

自分のミスで人が死ぬかもしれないのが、仕事。
だからこそ、ミスをなくすにはどうしたらいいか、試行錯誤を繰り返さなければならない。

と伝えています。

私が仕事の面接を受けた時に、設計のボスが言ったのが。
「自分の設計ミスで人が死ぬかもしれない。それを自覚して仕事に向かってほしい」
という言葉です。

また、義両親は自営業をしていますが、不注意で自分の指が1本なくなったりもしています。

2つ前の会社の鉄道関係の同業他社では、不注意により命を落とした人がいます。

命に関わらなくても。
設計ミスにより付近一帯を停電させてしまい、賠償金額により会社を傾けてしまう事だってありますし。
零細企業でリコール製品が出れば、やはりそうなるかもしれません。
自分のミスが、会社を傾け、たくさんの人の生活すら左右するかもしれない。

再確認、再チェックにより、ミスを減らしていく。
それを小学生の頃から意識し続けて、やっと社会人としてまともにやっていけるんだ。

と、話しています。

平等に将来のチャンスは与えられるべきだから

はるか遠い昔のように、農民の子は農民。商人の子は商人。
向いていなくても、その仕事がどれほどに嫌でも。
他のものにはなれない。その方が良かったと思う?

と、まず聞きます。間違いなく「ノー」と返ってきます。
そして。

なりたい人がみーんなお医者さんになっちゃったとして。
「とりあえずこの辺切っとけ、みたいなノリで手術されたら死んじゃうよね」と。

なりたいものになるために、一生懸命勉強した人が、なれる。
そうでないと。困るよね、と。

でも、数学だけでそれを決めてしまったら、数学が苦手な子が可哀そうだし。
国語だけでそれを決めてしまったら、やっぱりそれが苦手な子が可哀そう。

色んな分野で点数をつけないと、不平等でしょう、と話しています。

他のあらゆる経験も必要だから

なぜ勉強をするのかとは、ちょっと違うかもしれませんが。

「忘れ物をしてしまった」
そんな時でも、怒られる事を覚悟して申し出なければならない。
「ごまかさない事」
それもまた、練習が必要だ、とも伝えています。

怒られたくない。
だから今は言わない。
ばれたら仕方ないから謝る。

それを社会に出てやったら、アウトだよ、と。

今日、工事で必要な部品を忘れてしまった。
すぐに手配できない。
その時に、すぐに上司に報告すれば当然怒られるけれど、何とかツテを頼って調達してくれるかもしれない。
誰にも言わずに、お客さんに「届くのが遅れているみたいです」とごまかしていれば、予定通りに工事が終わらず、怒らせてしまうかもしれない。
場合によっては今後一切、仕事をくれなくなるかもしれない。
それが、何億もの損失になるかもしれない。

自分の失敗をごまかす事で、ミスと同様、会社を傾けるかもしれないんだ、と。

まとめ

以上のように、学校は、社会に出るにあたって必要な事を経験する場で。
しっかりと、鍛えられてきなさい。
と、言っています。

まぁ、これだけ伝えていれば。
かつて私が親に対して思っていたような。

具体的に答えられないほど、底が浅い人生を歩んできたわけ?

とは思われないでしょう!(笑)

今はそんな事は思いません。
旦那も、抽象的な事しか言わないでしょうし。
私が理屈っぽいんです(^^;
そんな子供さん用の、1つの例としての私の回答です。

学校は必要ないと言う人もいますが。
それは、たまたまその人の人生に学業が必要なかっただけで。
必要だった人も、たくさんいるはずです。

全員が全員、学業が必要のない子供だったら、世界はハチャメチャでしょう。

学業が必要な人はたくさんいて。
それが必要だったかどうかは、大きくなるまで分からなくて。
そうでない人達だって、そういった人達に支えられて生きているわけで。

自分だけの主観だけで、しなくていいと断言するのは、どうなのかなーと。
子供の可能性を狭めているだけなんじゃないかなーと。
そんな感じの記事を読むと、思います。